思い出のかむかむレモン。

落ち込んでると、知ってか知らずか話しかけてくれる摂理のこどもたち。
そういう経験私だけじゃないみたいと何人かの人と話してわかった。

他愛のない話をしてくれるだけなんだけれど

そういうの必要な時だから、なんてセンスがいいのだろう。

私が、新入生だった時のこと。
ビュービューさびしい風が心に吹いていた時に
かむかむレモン(レモン味のレモン型のガム)を汗ばんだ手で差し出してくれたあの子を思い出す。

ちょっと食べるのに正直とまどったけれど、
普段まったく話すこともなかったのに、今日に限ってこうしてくれたことが、
目に見えない神様がこの子を通して現れて下さったかんじがして、じーんとしながら頂いた。

今は、中学生の素敵女子になった彼女。
久々にばったり再開をしたので話しかけたら、覚えていてくれた。
やっぱり優しくて嬉しかった。

私が幼かったときのことを知っている彼女。
彼女が赤ちゃんだった時を知っているわたし。

何か不思議な幼馴染。

また会う時、新しい私と彼女になっていることがたのしみ。

母の変化。

コミュニケーションがデッドボール的なわれら一家ですが、
祈りと御言葉を学ぶようになり、
私と妹も和平を結びつつあり、
そして、母もまだ信仰に至ってはないとしても、父とのやり取りが少し変化しているのを気づきました。

 

父が、あまりにもちゃんと話してくれないために母にもどかしさ、辛さが生じる事が多いのですが、
それを通して、このようにこうだなんだよ~と
神様に告げるべきことを告げる事が大事なんだよと、一緒にお祈りするときに伝えたのですが、少しわかったようです。
「わたし(母)は祈る事できない~」って毎度言っていたのですが、
最近は挑戦しようとしています。(さすが実践の年の威力、神様の導きを感じます。)
神様が嬉しい心で聴いてくださるんだということが少し感じられたようです。。。。

 

最近、自分の表現不足も問題だと思う・・・と母がポツリと話しました。

自分が表現すべきことを表現をしたら、相手も変わるだろうなと、思ったそうなのです。

今まで、父だけに問題があるような捉え方をずっとしてきた母が、
自分の接し方(表現不足)に原因もあるのだと思う。と
自分のことを客観的に見ることができるようになったことは
問題解決の早期実現の道が開かれたこと。

自ら認めることができたのは、聖霊様の感動感化受けている!と思いました。
心の底からhalleluiah―★