看板と私と主日の主題。

会社の近くの公園でランニングしたり、賛美したり、お祈りしたり
自由気ままなお昼休み。

春の香りを漂わせているビオラの花壇の前にふと足を止めた所・・・

 

「ビオラが植わっています 入らないでください」

入りませんがな。。。

一体、誰が入るんだろう・・・といぶかしみつつ

っていうか、「植わっています」って甲州弁だよ!おじさん!!!
と思わず突っ込みました。。。

そういえば、「前の家」を「めえのうち」と祖母がいっているところから
「前の家の人の名字は[めえ]さんなんだ」と私、小学校高学年になるまでずっと思っていました・・・・。

ある日、ナガサカさんなのに、なんで「めえ」って呼ぶんだろうと不思議に思った時に
よくよく考えたら
方言だった!!!という事実を目の当たりにし
幼心の自分の思い込みに驚愕しました。。。。

 

 

さて、今週の主日の御言葉(説教)の主題は

「あれこれと考えてみれば答えが出てくるし、疑問が解ける。
翼をつけて主と共に飛ぶ時だ。」

というわけで、
このように、こうだ。
私の抱いている疑問をあれこれと違う角度からまた考えてみようと
聖霊様の感動感化をいただきました。

ダメだし祭りのさなかで思う詩。

だいぶ負のスパイラルをしなくなったとしても、
自分のことを肯定的にみれない脳の思考回路と実際、事実至らな過ぎる自分の有様に
ほんとうに、カタクチイワシみたいな自分で申し訳ない・・・
「うまれてきてすみません」的な気持ちが生じ始めました。。。

そんな時、
「そう、そうだよ。
あなた、今だけじゃなくて、昔からそうだったじゃん。
いついなくなってもいい様な人だった。
でもさ、生きながら生き埋めにされるような苦しさ抱えて生きていたところから、
救われたんじゃん。
こんなカタクチイワシみたいな、とるにたらない存在だとしても
いてもいいと言ってくれる存在。それが主でしょ。」
そう、もう一人の自分が私に話しかけてきました。

たしかに。

そして、チョンミョンソク先生の詩が思い浮びました。

「主の前に立つと私小さくなる 主の後ろ立つと涙もろくなる」

自分の考えから抜け出す瞬間でした。