すさまじい威力、感謝の力。

私の所属する青年部女子チームではLINEで1日1感謝を!というルームがある。

それぞれが会社で天と共に善なる生き方を追求していて、
それが仕事の結果に自然と結びついたという証があったり
御言葉通りに実践したら奇跡が起こったという体験談があったり
自分の考えだと、不平不満になるしかないけれど、観点を変えたら
変化する・改善するチャンスだった!!と転換できるチャンスを得たこと感謝していたり
ありえない事が起きていることを知ると、天の御働きを認めるしかない。

感謝は、見つけることからさらなる感謝が生まれるものだ。
そう改めて思った。

今日はどんな感謝ストーリーが出るだろう。

日々小さなことも感謝すると、ほっこり心があたたかくなるけれど
感謝出来ないような時にもなんらか感謝することがある。
それが生きる味と力にもなる。
感謝をささげる生活
それはチョンミョンソク先生が教えてくれた神様と生きる生活だ。

 

 

事実は小説より奇なりってやつ。>摂理って怖い

摂理が怖いところだというお話しがあるらしい。
この共同ブログの住人まっちゃんから聴いた。
大阪ではかなり悪名高い存在として噂が真相のように存在してるそうだ。
そんな変な団体じゃない(>_<)くやしー!!!と心底悔しがっているのを聴いた。
悔しがり方がハンパなかったので、これは相当ひどい話があるんだろなと思った。

出所は学校の先生方のネットワーク的なもの?らしい。

学生を守るために結成されているネットワークは素晴らしい。

んがしかし!その話どこから来て、誰に確認したのだろう。
わたしも過去短大の時に摂理っていう団体は自称メシヤという教祖を崇めていて云々・・・と聴いたことがある。
へぇ~こりゃ世も末だね。さすがミレニアムだけあるわと当時思った。

実際、そのヤバイ団体
摂理でバイブルスタディを学んで信仰生活してみたところ、どうなったか?というと、
引きこもりだった私は癒されて社会生活に挑むようなる奇跡が起きたし、
私を癒した人達は
マインドコントロールされた人たちなのかどうかというと、いたってまっとうで
私が信仰生活をしていること神様が喜ぶならば宝くじあたるようにして下さいと祈ったら
全能さゆえに当たるのではないかといった私に「それは、理致じゃないね」と笑顔で返答してくれた。

以前聴いた話と実際がかみ合わなさすぎて、
摂理についてものすごい酷いねつ造報道があった時に、「あぁこのことだったか」とようやく結びついたくらいだ。
世の中ってそんなもんだなと思った。
暗い夜道に白い影が通ったその曲がり角の先にいたのは、白い猫だった的な。
火のない所に煙が立たないって、それ
そもそも煙じゃなくて、土ぼこり。という突っ込みどころみたいな。

どのくらい摂理がゆるいところかというと、
摂理を去りますその理由は・・「悪く言われているような団体らしい」とか
やっぱ宗教っていうのが納得できない」とか
けっこう印象的だったのは「お母さんが心配するから来ません」と言っていた大学4年生だか院生だった男性。。。
お母さん的には嬉しいだろうけれど、この方は破たんしない結婚ができるだろうかと他人事ながら心配になった。

つまりは摂理どうこう以前の判断で「さよなら」されていました。
そして、こういった方々に対して、追いすがって「出ていくな」とか、「出て行こうものならば監禁する」とか一切なく
あぁそうなんですね・・・と見送るというか、さびしく見つめるしかないというかんじ。

事実とはからのかけ離れた情報で怖がらせるよりは
メディアリテラシーについての勉強会を催したほうが、人生の海をよりよく航海できるのでは?と社会の端くれ人として思う。。。