心の畑~マタイによる福音書~

 

 

お師匠が教えてくれた御言葉の中で、まっちゃんが好きな話の一つに

「心の畑」

の話がある。

この話は、聖書の

<マタイによる福音書13章>

に書かれている。

 

★★★★★★★★★★★★★★★

肥沃1

@takanakoubou

イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、

 

「見よ、種まきが種をまきに出て行った。

まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。

すると、鳥がきて食べてしまった。

鳥

@www.hirosegawa-net

ほかの種は土の薄い石地に落ちた。

そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、

日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

石地

ほかの種はいばらの地に落ちた。

すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。

茨

 

ほかの種は良い地に落ちて実を結び、

あるものは百倍、

あるものは六十倍、

あるものは三十倍にもなった。

Sprouts of young garden wild strawberry grown in a nutritious fertile ground

@jp.depositphotos

耳のある者は聞くがよい」。

<マタイによる福音書13章3~9節>

★★★★★★★★★★★★★★★

j

@windychapel

この後に、弟子がイエス様に

「どうして譬え(たとえ)でお話になるのですか?」

と話す場面がある。

つまり、この話は「たとえ」なのである。

では、一体どういう「たとえ」なのだろうか?

お師匠は、

「聖書の中の問題は、聖書の中に答えがある。」

と教えて下さった。

よく読むと、

<マタイによる福音書13章18~23節>

でイエス様が「たとえ」を解いて教えて下さっている。

 

★★★★★★★★★★★★★★★

種2

@seeds.gldplants.

そこで、種まきの譬を聞きなさい。

 

だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、

悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。

道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。

石地

@jp.123rf.

石地にまかれたものというのは、

御言を聞くと、

すぐに喜んで受ける人のことである。

その中に根がないので、

しばらく続くだけであって、

御言のために困難や迫害が起ってくると、

すぐつまずいてしまう。

茨

@new-mu.seesaa

また、いばらの中にまかれたものとは、

御言を聞くが、

世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、

実を結ばなくなる人のことである。

肥沃

@www.biodic.go

また、良い地にまかれたものとは、

御言を聞いて悟る人のことであって、

そういう人が実を結び、

百倍、

あるいは六十倍、

あるいは三十倍にもなるのである」。

<マタイによる福音書13章18~23節>

Sprouts of young garden wild strawberry grown in a nutritious fertile ground

@jp.depositphotos

★★★★★★★★★★★★★★★

ここに出てくる「畑」は「心」で、

「種」は「神様の御言葉」だ。

 

また、「いばら」とは、

「自分自身の中にある悪い考えや性格」

の事だとお師匠が教えてくれた。

 

お師匠は、この聖句を読んで、

自分の中にある「いばら」のようなものが

「自尊心」

「怠惰」

「高慢」

「我慢できない性格」

「血気」

「強情」

などの性格だと分かり、

それを一つ一つ取り除く為に毎日努力したそうだ。

朝

@and-plus.

明け方、朝早く起きてお祈りに行っていた10代の時。

どうしても「怠惰」が出て、布団から起きれない日があった。

そうしたら、どんなに嫌でも

「遠く遠いところまで山を超えて走る」という試練を自ら課して、

「自分が自分自身の監督になって鍛えた」そうだ。

R1

@www.dex.

 

この聖句にある「良い地」のように、

自分の心が「善良な義なる心」に完全に変わるまで、

お師匠は、

何度も何度も自分を練達して磨いてきたと仰った。

 

「何故そこまでするんですか?」

そう聞くと、

 

「神様が願っていらっしゃるからだ。」

 

「善であってこそ、善なる神様と通じる事ができるからだ。」

 

そう仰った。

お師匠の精神は、

 

「ひたすら主・神様」だ。

 

どんな時も、神様が最優先。

自分の考えよりも、神様の考え。

 

いつも神様に仕え、愛し、敬って生きる生。

 

それがお師匠が「実体」として見せて下さった生き方だった。

先生9

@matome

誰よりも聖書のイエス様の御言葉を実践し、

誰よりも神様を愛して生きた人。

 

その切実で、一筋の心が、本当に美しい。

善良な畑」はまさしく「お師匠の心」だと心からそう思うまっちゃんでした。

 

 

 

 

紫陽花(あじさい)の季節★

先日、歩きながらふと横道を見ると、

紫陽花(あじさい)が咲き誇っていた。

「紫の太陽の花」と書いて「あじさい」と読む。

とっても素敵な名前だ☆。.:*・゜

 

アジサイ3

ふと、「紫陽花」の語源が気になって調べてみた☆

「語源由来辞典」によると、

【あじさいは、古く「あづさヰ(あぢさヰ)」であった。
「あづ(あぢ)」は集まるさまを意味し、特に小さいものが集まることを表す語。
「さヰ」は「真藍(さあい)」の約、もしくは接頭語の「さ」と「藍(あい)」の約で、青い小花が集まって咲くことから、この名が付けられたとされる
ただし、あじさいを漢字で「集真藍」と書いたとする説は誤りで、語源を辿って漢字を当てはめるならば「集真藍」の字であろうというものである。
漢字の「紫陽花」は中国の招賢寺にあった花の名前で、日本のあじさいとは異なるものであったといわれる
日本の古い文献では、『万葉集』で「紫陽花」の例が見られる。】

 

(へぇ~!!)

 

「紫陽花」という名前は中国からきてるんだ~!

しかも、他の花のことだったんだ~!!

まっちゃん、古文でも特に平安時代が好きで「源氏物語」や「万葉集」を何度も読んでいたが、「紫陽花」が出ていたなんて頭になかった。

アジサイ7

しかも、「語源由来辞典」には
【あじさいには「七変化」や「七色花」などの異名があることから、新潟県や佐賀県では七面鳥の皮膚の色が変わることに喩え、「七面鳥」といった呼び方もされる。】

と書いてあった。

 

(えぇ~~~!!まっちゃん、佐賀出身だけど聞かないよ~~!!)

である。

 

驚きの事実だ。

 

七面鳥=あじさい

 

ちょっと結びつかない・・・

( ̄▽ ̄;)

アジサイ9

 

そんな「あじさい」ですが、とっても綺麗でした。

アジサイ6

これ、いくつもの花が沢山集まっているんですよね。

一年生の折り紙で、大量に「あじさい」の花を折りました。

赤系の花と青系の花と二つ分のあじさいを作る為に、30~40個折りました。

アジサイ4

子どもの頃は、「あじさい」って「一つの花」だと思っていたから、「沢山の花の集合体」と知って驚きです。

二年生の教科書にある「たんぽぽ」だって、「一つの花」の集合体だと知ってビックリしました。

 

知ってましたか??

 

まっちゃん、「たんぽぽ」の事は大人になってから知りました(;´∀`)お恥ずかしい・・・

たんぽぽ

@nyanpopo.exblog

一つ一つは小さくて目立たないけれど、一つに集まって一体になると本当に見栄える美しさになるんですね★

「あじさい」を通して

「一人一人が互いに協力して一つになってこそ美しい」

というメッセージを受けたように感じました。

 

そんな素敵な「紫陽花(あじさい)」を見ながら、なんだかが癒されたまっちゃんでした(*´ω`*)☆。.:*・゜

 

アジサイ3