その敵意どうして?と思う目にあうと、不覚にも涙目になるか、血気出し応戦したくなるかのどちらか。
そんな極端な私。

これが皮肉か!Theイビリを体験のさなか、摂理(キリスト福音宣教会)の教会に通わなくなって久しい妹から烙印を押されました。

「理想論ばっかりで、行ないがない。」と、
つまりは聖書的にいうと「行ないがない信仰は死んだものである。」
⇒「お前はもう死んでいる」という事です。

じつは
それかなり前から、自覚があります。
分かっている・・・・分かっているけれど、そこで止まっている!!というところがマズすぎる。
ので、
ヌルいイビリ(ある意味コント)の一例をもとに思案しました。。。

「ボード持ってきて」と言われて持っていったら「ペンは無いのね」と冷淡に応酬という事例。

「じゃ、はじめからそのように言ってくださいね(怒)」と、思うのが私の考えのレベルですが、じゃチョンミョンソク牧師だったらこれどう対応するんだろうか?と。

それで思い浮かんできたその姿は・・・
血反吐を吐く軍隊生活で鬼上官と仲良くなったチョンミョンソク牧師。
平和友好関係を築くそのスキルというのか、そのマインドを得たくて、どうしたら良いのだろうか?と。
もしこの場にいたらどうされるんだろうかと。
もしもの妄想をしてみたところ・・

「たしかにその観点無かった!ごめんね気が付かなくて!次回気をつける!」と、

素直に明るく、認めるところ認めて次回に繋げられるように努めるんじゃないかなぁ。
気づかせてくれてありがとう!とまで屈託なく、言いそうだなぁと。
なんだか、その笑顔まで思い出せて来たらココロの中に生じた暗雲はいつの間に霧のようになくなりました。

そんな感じで、このようにこうだ。でお手本があるってしあわせ。
死んだ女の起死回生、復活の序章。
復活するには、完全に死んでこそだから。
幸先が良いかもしれない。
っと前向きに復活の生活を継続中。


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