摂理で結婚する人達と結婚しない人達がいますけれど、
結婚するのも、自由だし
結婚しないのも、自由です。
どっちにしろ、結局は自分が決める事なんですけれど
最近思ったのは、摂理内部の人にしても外部の人にしても
私のことを見た時に「この人結婚できないんだろうな~」と思われるのか
「結婚しないんだな~」と思われるのか
私の言動でどちらかを思われるんだろうな・・・ということです。(笑)
結婚って、今年のヒットドラマ「逃げ恥」で名セリフとして上げられていた「共同経営責任」だなと
両親や、さまざまな人達を見ていて思います。。。。
摂理で結婚された方々をみると、お互いを尊重しながら共同責任の生活していらっしゃる
ので素晴らしいなこりゃとおもいます。
結婚ってなんだろうか。
それを、根本から考えられるというか、学べるというか、人生の根本を知って結婚するからなんでしょうな。
私には摂理人ではない既婚の妹もいるのですが、彼女は宗教嫌だ~といいながらも
キリスト教式の挙式を上げまして、その際に挙式に向けてバイブルスタディ的な準備を何回か受けたそうです。
神様が与えて下さった結婚の祝福とは・・・みたいな。
巷にはアルバイトの神父さんもいるのにもかかわらず、そんなところもあるんだな~と新鮮な驚きを感じましたが
そうなんですよね~神様がくださった祝福なんですよね~。
祝福を手におえるならば、祝福。
手におえないならば災い。
だから、ちゃんと成長することが大事~。
というわけで、学ぶんですキリスト教では。
摂理に独身者がいることも、家庭を持った方がいるのも
根本を知って、結局は、どう生きるか、なだけなんですよね~ということです。
独身者が増えている日本で
どう生きるか?はいろんな人が考えて生きていると思うのですが・・・
摂理で人生について考えたり、学んだりしている自分としては
外野(自分を取り巻くすべての人)が自分のことをどのように思うのだとしても
後悔しない生き方をしておりますと
そう断言ができます。