摂理の人々

摂理幹部、指導者の一言で「摂理辛い」って思った事がある平信徒のハナシ。

先日、サリン事件の全ての裁判が終結したというニュースを見て20年以上経ていること、そして今なお苦しむ方もいらっしゃることを思うと、何とも言えない気持ちになりました。。。

日本において「宗教団体」そして「幹部」に脅威・警戒を抱くのは否めないことをわたしも共感します。

あえて「幹部ネタ」についてわざわざ書くのか?というと、「摂理の幹部」っていったら、そういう肩書でなんかやってんじゃない?と不安に思う方もいるかもしれないのではと思ったからです。

「指導者」について体験を通して思ったこと・感じたことを書いておくことで摂理という団体の内外にとって「実際」を見る・知る参考の一つになることを願って、一平信徒が書きました。

辞書では幹部とは「団体・組織の中心となる人(goo辞書より)」とのことで、いわゆるトップダウン的社会を意味していると思われます。
そういう幹部という肩書きに近いのは「指導者」かなぁと思います。

指導者って一体、何なのか?
私が敬愛するジョウン牧師は「牧羊犬みたいなものです」とさらりとおっしゃっていたことがあります。
「天を中心にする」とはこういう事なのかとしびれました。
牧羊犬は誤って主人を噛むことはあっても、組織の中心になるだろうか?いや無いだろうと思わず漢文的反語が出てきてしまうほど感嘆したのです。羊を育てて、よりよく導く存在が牧者ですが謙遜にあえて「牧羊犬」と表現されたから。。。


こういう表現ってしようと思ってもなかなか、できないのでは?と思ったのです。
肩書きがあるとつい勘違いしてしまうのでは?しかし、そういう勘違いをせずに、職務を全うされている方なんだなと思いました。

私は、摂理で癒されつつ学び中ですが、指導者や先輩方の言葉で傷ついて、摂理を去ることを検討したことが数回あります。

なんで、今も摂理にいるのか?

というと
「痛い経験を通して、得るものがあったから」です。

より丁寧に端的な表現に変えますと、
役職(肩書き)がある方だとしても、自分の考えで話すこともあるから、
聴く側はちゃんと天の言葉なのか、人の言葉なのかを分別して聴く必要がある。
と学んだからです。

まさに「人間だもの」BY相田みつを

しかし心が痛かった分、辛くなる分、居たたまれないものです。
なので、その分しつこく神様に尋ねました。

神様これってどういうことですか?と祈り求めました。
切実に「これって、どうなんですか~!?」と、しつこく答えを求め続けたところ、少~しずつ見えてきました。
私が見てきたチョンミョンソク先生は人を傷つけようと悪意をもって話されることはなかったな。と。
そして、指導者の方も傷つけようと話しているわけではないのだなと。

ただチョンミョンソク先生は相手の心まで考えて話していて、指導者の方はそうではない場合があるとのでは?と思ったのでその旨を以前、記事に書いたのですが、後日
チョンミョンソク先生と直接会ったことがある指導者の方が「再起不能な数日、数週間が生じたほど、こっぴどく叱られたことがある~」とおっしゃる方が数名いたので、チョンミョンソク先生が過去そうだったのか、それとも相手によってTPO的にそうなのか、その両方なのか?ともかく、私としては「先生との思い出があってよいなぁ自慢話にしか聞こえないなり。」(当時ショックだとしても、結論肝に銘じないといけないことを学べたし、成長するきっかけになったと話されていたので)としか平信徒には思えないのと、この記事を書いたのは、先生がどうこうというよりは指導者と平信徒が焦点、「摂理に幹部がいるのか?」が論点・・・(^_^;)本題に戻しますと

じつは以前ある指導者の方から「考えが汚い」とただ言われまして、これを言われる側は、かなり戸惑うというか、悲しくなるというか、問題何も解決しないというか、「どのようにしたら考えをキレイにすることが出来るのか?」を教えてプリーズ!と心底、(マリアナ海溝くらい)思いました。ネガティブな表現って辛くなりますし・・・。

摂理の指導者のみなさん全員が必ずしもそうでないですし時々、ほんとにごく稀になんですが、
言われる側の心が辛いことになっているのを想像していない(予想しないのか、予想が外れているのか不明)。
わかろうとしていない?もしくは、ご自身の気持ち・立場がいっぱい一杯で、わからなくなっている?もしかして?と思ったことがあります。
しかし、反面教師として私自身を省みると、過去、家族(妹)にそういうことしていたんだなと思って
これを機に深く反省するに至りました。
そして、社会生活・職場の中で自身の失敗を通して、「矛盾とは自分の考えが強くなる時、相手の心を考えていない時だなぁと。」しみじみ、そう思ったことがありました。

自分にも矛盾があるし、今までの人生を振り返って世の中を見ても矛盾・問題がない世界など「どこにもない!」そう認めるしかなかったなので、ショックがフラッシュバックする時にいつも指導者の方の為に祈ろう!と思うようになりました。

なぜならば、争うことを天は願っていないから。

つまり指導者とは、幹部っていうよりは、家族に近い気がしました。
兄弟げんかが起きたとき、どちらが正しいのかを問いただすよりは、親としては仲良くしてほしいと思うんだ。
神様も地球を眺めてそう思っているんだと以前、聴いたことがあります。
ある時、そうかそれがこのことか!と思えるようになりました。

というわけで自分自身が、忘れていた直すべきことを直せるように、向き合うチャンスとして感謝し始めた時から、徐々に神様の視点で見えるようになって、責めるような心でなく相手のためにも祈れるようになりました。

それまでは、被害者意識がどうしても強くなり、それによる自己嫌悪感も起きていました。しかしながら、なかなか責める気持ちも拭い去れない有様(^_^;)
やはり、自分で解決できない心の問題は、神様から新しい心をもらう事なんだなと祈って視野が変わる度に感じます。。。

回りくどい話で恐縮ですが、そんなこんなで幹部とかいないってことです。
(もし幹部のような存在がいたら、こんな自由な意見をインターネットに書いたら私消されるだろう)
幹部だったら人の心とか考えなくても問題ない役柄っぽいですが、指導者は人財ありきの存在なはず。
なので、その方がもっとより良くよくできるようにと今もお祈りしています。

もし心が痛くなり、摂理から離れようかなと思った事がある方がもしいらっしゃるならば・・・
まず心が癒されますように(;_:)そして、より良い方向に天が導いて下さることをお祈り致します。

悪意があって傷つけようとして話したのではなくて、ただ言葉・表現・方法を間違えているのを気づいていないだけなので。。。

また、より良い解決に至るには、可能であればご本人に「あの、心が痛いです」と伝えてみるとか(上の件とは別の方とのやり取りで、これは・・・と思ったことがあったので、その際に伝えてみたところすっきりしました)
直接言いづらい場合は、しかるべき調整役のような方に相談してみるとか
とにかく、「もう無理だ」と諦めるよりも、より良いことがあります。
ちょっとだけエネルギーが必要ですが、その分お互いがよりよく成長できる可能性が大きいです。

伝える時のポイントは
「アサーティブ」であること。

これ(コミュニケーション方法論)をある方から教えてもらってから、心掛けるようにしています。

アサーティブネスとは、相手も尊重した上で、誠実に、率直に、対等に、自分の要望や意見を相手に伝えるコミュニケーションの方法論のことで、感情を伴うと言いづらくなる時への対処法として有効です。だからといって、感情を消すというわけではありません。感情をそのままぶつけるのではなく、気持ちを言葉で表現しつつ、主張をしっかりと伝えようというのがアサーティブネスの考え方です。

引用元:「アサーティブ・トレーニング」日立ソリューションズより

対話することが大事だよと、チョンミョンソク牧師が何度も仰る理由を痛感しました。
(人と話しても解かれない場合もあるので、そういった場合は天と対話すること(祈ること)がベストな時もありますが)

大切なのは「変に我慢しないこと・諦めてしまわないこと」
そのように、建設的に向き合う時、成長する過程・好転する過程になっていくと実感しました。
私は自分自身と、相手を責めるような考えが強いところがあったので(まだあるかも知れない改善すべき考えですが)
長い時間がかかりましたが、ショックを受けたことを通して、どうすることが一番心が重くならないのか?が身に染みて解るようになりました。

人生を生きる中で、摂理という団体の内外問わず、成長する過程でぶつかることや戸惑うこと、痛みを伴うことがあるとしても「誰が悪い?」という考え方よりも、「どうしたらお互いが良くなるのか?」そういった方向に考えると同じ精神的なエネルギーを費やすとしても、得るものが全く変わって来るだろうと思います。

お互いがよりよく生きるにはどうしたらいいのか?を考えられるように「互いに愛し合いなさい」という聖書の御言葉を実践しながら、分かりやすく教えて下さっているチョンミョンソク先生を通しての神様の導きに感謝します。
愛と赦し、寛容そのものである神様の愛を知る時に、
絶望や諦め、憎しみなどなくなる。
そう心から思います。

(2017年2月23日UP記事リライト)

この記事を書いたブロガー

黄雲 kou★un
生まれも育ちも山梨。東京へ通いながら摂理のバイブルスタディを学び、意を決して上京した後、教会がない山梨で生活している平信徒アラフォー。中高短大山梨英和卒業。
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