中央大学で摂理に出入りすることを止めなさいと
説得を受けた子がいる。。。

でも、摂理に通い続けていた。
そして、親にもオープンに説明してメンバーとルームシェアをしていた。

そうだよね。
何も悪いことをしていないから、ちゃんとやり取りが成立する話し合いできる親子ならば可能なのだなと思った。

その子はこうも言っていた「わたしはもう失うものはないんです。」

いろいろ考えさせられる一言だった。

失ったものがなんなのか、ちょっと聞きづらくて、いろいろ憶測してしまったのだが・・・
事実を調べようともしない一方的な大学側に対しての残念な思いなのかな~とか思ったりした。

または、全く別の意味なのかもしれないけれども。。。

 

事実を調べたり確認もせず、当事者の意思等聞こうともしない
「カルト集団」という暗黒色の色眼鏡で
摂理を見ている大学とそういう話をしてくる大人たちに怖さを感じることは、あったのではないだろうか。。。

しかし彼女は、
自分が目で見て、感じて、考えてたこと、貫いて
堂々と大学生活をして、大手の会社にも就職していった。

ちなみに、親とどんなやりとりをしているのか?と訊いたところ
「私がどんな話を摂理で聴いて、聖書を学んでいるかを知ってもらおうと思って
バイブルスタディを母に伝えてみました。」
とのこと。

信頼関係があったから、出来たことだと思うと話していた。

お母様は摂理で信仰生活をすることをまだ善しとは思っていないそうだが、
「あなたの人生だから」と言われ止められはしないと言っていた。

彼女の話を通して、いろいろと感慨深くなる。