私が初めて韓国を訪れたのは高校生の修学旅行でした。
当時は、2002年ワールドカップ前で、いわゆる韓流の火付け役となった冬ソナが日本で放映される前
なので、韓国は「近くて遠い国」であり、韓国に対してのイメージは第二次世界大戦の出来事ばかりでした。
今でもさまざまな感情・考えが渦巻いていますが、
あの頃に比べて日本と韓国はかなり近くなって来ては、いる。と感じます。ハングルを学ぶ人が多くなったり、韓国のアイドルグループのファンが熱烈にいたり、韓国から化粧品や健康グッズを取り寄せる人もいたり、かなり変わっているのではないでしょうか。
韓国について、良いイメージ、そうでないイメージ、可もなく不可もないという方様々だと思いますが、
わたしは修学旅行でいろいろと良い刺激をもらった国だったので、イメージが良かったです。
そんな私が摂理に出会ったのは東京でもなく、大学でもなく
やまなしに来た韓国の留学生だった友達ウニョンを通してでした。
ちょっとレアケースかもな人です。
韓国人の友だちはやはり韓国人なので、私は日本にある摂理の教会で韓国人の留学生たちがほぼ8割位の教会でバイブルスタディを学び始めました。
この記事は、その時の回顧録のようなものです。

韓国人からみて日本のココが不思議!

皆さんが一様に言うのは「日本はどうしてイエス様を信じる人が少ないの?」でした。
韓国にはコンビニの数くらいキリスト教の教会があふれているのに、どうして日本はこんなにクリスチャンが少ないのか?
どうして天皇誕生日はお休みなのに、イエス様の誕生日はお休みじゃないのか?全人類の救い主をお祝いするのは人類として当たり前なのではないか?日本の為にもっと祈りする!と言っていました。

イエス様の愛、神様の愛がどれほどすごいのかをいつも力説してくれて、
聖書を正しく読める(文字通りに読むのではなくて、意味が解る読み方)方法をチョンミョンソク先生が教えてくれているが、学ぶと本当にイイ!!と全力で応援してくれていました。

当の私としては、人柄が良い、面白い人達と交流する事が刺激的というか、人間不信をどうにか改善しないと今後生きることがむずかしいだろうなと思っていた気持ちと人生の問題が聖書で本当に解かれるならば・・・という気持自分の下心的な思い&半信半疑さで通っていたので皆さんの温かさに感謝する反面、後ろめたさの方が正直、強かったです。(^_^;)

多神教、ヤオヨロズ信仰の日本人には一神教の信仰は難しいのではないか?というイメージがあったようで、私が普通に聖書を学んだり朝お祈りすることに挑戦する姿に結構おどろきがあったそうです。なので、めちゃくちゃあなたすごい人だ!と褒められて、めっちゃ恐縮ですという気持ちになりつつも、あんまり褒められることない私の存在が思っていなかったところで存在が発揮されるのは、信仰の国、韓国人の感覚によるなぁと思いました。

なので、初めから山梨から東京にずっと通おうなんて思っていなくて(^_^;)
今週で終わりにしよう。と毎週思っていました。笑
しかし、その週の主日のメッセージをもらって生活する中で必ず何か答えをもらえたり、祈りながら聖書を読むときに、分からなかったことがわかる瞬間があるようになったりするので、続きを知りたい・・・
また東京に行くしかないねこれは・・・となり、
気が付いたら通っていたみたいな感じです。

韓国の礼拝ってどう?

というわけで、わたしは韓国のメンバーが大半を占める、摂理の教会でバイブルスタディや礼拝に参加するようになりました。
私がはじめて摂理の教会で礼拝に参加したのは、その韓国人留学生たちを中心とした教会だったんです。
なので、朝のお祈り会も、日曜日の礼拝もぜーんぶ韓国語。
日本の摂理メンバーも在籍していたので通訳の方がいらっしゃるため、常に日本人はラジオ携帯必須でした。笑
ラジオ忘れたり、ラジオの電池が切れたりするともう今日は終わった的にがっかりなので、絶対に忘れないように切らさないようにいつも点検&補充抜かりなかったです。(^_^;)

当時は異言とかで祈る人もいたので、うわ~不思議な世界に来ちゃったなぁと思うこともありましたが、
留学生活だけでも大変なのに、生活費を削って献金を真心で捧げたり
神様に心からの感謝と愛で讃美を捧げている姿に感銘を受けました。

そんなこんなで、韓国語で賛美歌を歌うということが普通な状況だったので
ハングルの読み方も分からずに完全耳コピするしかない当初でした。
しかし、心情を込めて、歌詞を告白のように捧げるべきだと
私よりも年下ですが、韓国で高校生の時から摂理に通っていたカヒちゃんから教育と指摘を受けたので、
「ならば、ハングル読めるように教えて下さい」と祈ったら韓国語教室が開催されるようになり、ちゃんと読めるようになりました。感謝。

韓国のメンバーのまっすぐなお祈りと賛美は、全く人を見ない。
完全に神様だけに総集中。
その中で私ものびのびと祈らせてもらったなぁ・・・・と思います。
牧師さんが、「皆さんのいいところは天にまっすぐなところです。しかし、横の兄弟間の愛が、ちょっと足りないところです。」とよく苦言を呈していました笑。

裏表がないということは、思ったことをそのままいう=悪口もあるわけで
たまに(年に2回くらい)それ傷つくわ~と思うことを言われたコトもありました(^_^;)が
影で言われるよりはマシかなと思ったり、なにより祈って、神様に訴えて、解く方法や、赦す方法もわかるようになったので
やっぱり、わたしにとって必要な事を様々、教えてくれる場所でした。ほんと、「教会」だなと思います。

会社でいろいろ嫌なことがあって、それをどうしたら解けるんだろうと、私は会社帰りに教会に行って、泣きながら激しく祈り求めても、誰も意に関さない。多分、普通の日本人の感覚だったらどうしたの?と訊いてきたはずです。
でも、神様が全部解いて下さるからね!という縦の関係がまずありきだよというかんじだったので、
そのように激しく求めれば大丈夫だ!グッドラック!!的な感じでほうっておいてくれたことが、良かったなと思いました。
なぜならば、私はとても疑い深いので、神様が本当に助けてくれるのかどうか、真実に祈って確認ができたからよかったんです。

人間的に、いろいろと親身になって聞いてもらって
アドバイスをもらうことで心がいったん落ち着くこともあるかもしれませんが、
根本的な問題は、ぜーんぶ神様に告げて、すっきりしたところで神様の視点の考えを受け取る方がずっと解決が速い!ってことをこの時に学びました。

ありのままの心を告げるお祈りと、ありのままの心で捧げる賛美は、涙がどうしても出てくるしかなく
みっともなく鼻水垂らしていても、どーでもいいやと(隣にいる兄弟姉妹は本当にイヤだっただろうけれど笑)思えるくらいに自由に目に見えない神様に向かうことができました。

韓国人の信仰心にびっくりしたこと。

イエス様が夢に現れてメッセージを下さる。
え~イエス様が夢に!?っとおどろきましたが、(日本でそういうクリスチャンにあった事がないだけかもしれませんが、)韓国のクリスチャンはけっこう普通にそういう方いらっしゃるようです。
イエス様を夢で見るとってどんな感じなんだろうかと私もいつか見れるだろうかと期待しています(笑)

洗濯機が壊れたらサタンの攻撃。
担任牧師さんがある時、信仰とは・・・と基本的な認識について説いて下さった時がありました。
ある夜中に、牧師さんのところに「洗濯機がいきなり故障してしまった。これはサタンの攻撃だろうかッ!?」と電話がかかってきたそうです。
なんでも、かんでも霊的に考える事が信仰ではないんだよ。
それは、電気屋に修理を頼むべきです。
信仰とは幻想や妄想のようなものではないんだよと
自分の心と考えをよく見て、真理で裂いて、人生通して自分を作ることだと丁寧によく教えて下さっていました。

と、このようなかんじで、
日本人とはちょっとだけ違うかもしれない感覚がある韓国人メンバーと同じ釜の飯を食べながら過ごしていました。
私より年下の留学生のキャンパスの子たちも、さまざまにマイペースでほんとにおもしろかったです。
2.3日分のごはんを作っておいたら、1日で完食し「美味しすぎて食べちゃいましたオンニ」といって申し訳なく自首していた子も今では、韓国に帰国してからは指導者をしている。とのことで、成長?目覚ましく本当に歳月の速さを感じます。

おもしろかったエピソードがイロイロありまして今でも時々思い出し笑いしてしまうのですが、
朝のお祈り会の後に、聖書通読キャンペーンを開催されていた時に
日本語の聖書で一人ひとり1節ずつ音読していったのですが
「はげたかが死体を取り囲み」の所を「はげた方々が死体を取り囲み」と真剣に、淡々と、読み間違えて音読してくださった韓国人男性メンバーの真剣さと、その読み間違いをイメージして笑いを抑えるために必死だった日本人メンバーの様子・・・今でも鮮烈です。

留学生はいわゆる苦学生、みんなバイトを掛け持ちしながら生活していました。
「すみません」と言おうとして「スマン」(←となりのトトロのサツキのお父さんのセリフから学んだのこと)と言ってしまい。また、「スマン」だとこれは敬語にならないから「ごめんなさい」と言い直そうとして「ゴマン」と言ってしまったとか。
日本語ってむずかしい~と言いながら、でも、こんな神様の助けがあったよ。
感謝~とすべて神様とのイキサツになっているようで、面白たのしく希望にあふれて生活をしているのを見ました。

日本で大変なこと沢山あるんではないか?と気になっていましたが、
いつも笑って感謝している姿をみて信仰ってすごい力があるんだなとおもったのでした。
なにも不自由がない生活だけれど、いつも不安な私とくらべて、みんなの天真爛漫さが不思議でした。

学生として勉強をしながらも生計も立てなければならない留学生たちなので、
礼拝もなかなか捧げられない事もあったそうです。
でも、神様に真心で捧げると必ず、反応があるんですよ。
留学生だった牧師さんのお話が懐かしいです。
そう普通に考えたら、信仰が無い人から見たらかなり不思議なことばかりです。
でも、みんな、なぜか幸せそう。それが不思議で私は惹きつけられたのだと思います。

対人恐怖症的なところがあった当時の私としては、皆さんとの出会いは本当に神様からのプレゼントです。
ちょっと大変なことも、確かにあったけれど、
わたしにとってほんとうに必要な教会へと神様が導いてくださったんだなぁと思い今でも感謝しています。

韓国でも地域によって特徴がある話し方・方言がある。

当時の私は3.4歳程度の聞き取り能力でしたが(^_^;)
ソウル出身のオンニはよく「クレ~クレ~クレソ」(そうそう、それで)と言っていました。
チェジュ出身のオンニは「キィイーキィイー」がそれにあたるそうで、面白いな~と思いました。
韓国のプサンは日本でいうと関西地方と似ているとプサン出身のオンニが話していました。
面白くてノリがイイ所のようです。
韓国各地方からいろんな性格・個性・イキサツがある方がいて本当に楽しかったです。
日本で企業をするために来日した人や、語学スキルを上げる目的の人、日本の専門学校で学ぶ人、
日本で摂理に出会った人etc色々でした。
韓国の政治・経済・教育はかなり短いスパンで変遷があったそうで、たったの5歳差でもハングルしか読めない(漢字は教育されなかった)世代がいたり、韓流ドラマでよくあると言われる格差(上流階級層とそうでない人の差)が本当にリアルにあるそうです。

韓国人のコミュニケーションは近い?

あなたのことを話してほしい。
そう言われて、、なんだこの距離感は!?と思ったことがありました。
ウニョンがちょっと個性的なところもあるとしても、日本にはないコミュニケーションの近さを感じる時が韓国に行った時にもありました。
ウニョンのお姉さんたちと一緒にある焼き肉店に行ったときに、お姉さんのお子さん(当時4歳くらい)が「眠い~寝させろ~枕持ってきて~」と言ってぐずっていたところ、貫禄ある店主のおじさんが近づいてきて、注意されるのかなドキドキと思ったら「おいちゃんの膝を枕にしてネンネしな」と笑顔でおどけながら仰り、そしてそれに対してウニョンの甥っ子は「おいさんの膝枕はヤダ~」といってみんな爆笑。みたいなことがありました。

私が摂理の教会に通い始めた時、お世話になったオンニ(お姉さん)やオッパ(お兄さん)はきっと今の若者世代とは若干違うところがあるかもしれないですが、
民族総兄弟!的な韓国は
女性の場合、自分より年上の女性には
オンニ(お姉さん)、年下はヨドンセン(妹)
男性から年上の男性には、
ヒョン(お兄さん)、男性から年上の女性にはヌナ(お姉さん)という呼称があります。

オンニというと、お姉さんは喜んでくれるかんじでした。
私は長女で年上のお姉さんがいなかったので、嬉しかったです。
距離感が近い感じで、裏表がないところに若干とまどいつつも、楽だなぁと思った覚えがあります。
ちなみにかなり年が離れている場合は、イモと言われます。母のお姉さんという意味があるそうです。(←韓国人のメンバーから教えてもらった)ちょっと呼ばれたくない気持ちになるのが、どうしても否めないのですが、
なかなかこの気持伝わらなかったようです。笑
教会活動するときもオッパ(お兄さん)オンニ(お姉さん)と呼びながら一緒に普通に教会でご飯食べることとかあり、家族っぽかったです。

距離感の取り方がそもそも難しい私にとって、戸惑うことも多かったですが、
戸惑う私も受け入れてくれる包容力、みなさんの温かさ、情深さに癒されました。

そういう温かさに癒されるのは私だけではないんだなと、ある時
貧民窟(ストリートチルドレン)で育った男性韓国人メンバーの話を聞いて思いました・・・・。

「摂理に来る前に自分は生きるために、食べるために、いろんな悪いことをした。
そうしなければ、生きることができなかったから。
社会から自分は必要とされていない存在だし、頼る人もいなかった。
孤児だったんだ。
でも、摂理の教会に出会うようになってから神様が自分を愛して下さっていること。
そして、その愛で接してくれるヌナ(お姉さん)ヒョン(お兄さん)がいた。初めて、自分に家族が出来たんだ。

神様の愛を教会のメンバーを通して感じた時、誰も信じられなかった人生で初めてヌナ・ヒョンと呼べるようになったんだ。
その日一日を生きるだけの生き方じゃなくなって、誰かの為に生きる。そういうことを教えてもらったから、今自分には夢があるんだ。」

チョンミョンソク先生は、今でも家族がいないメンバー(孤児の方や、ご両親が他界されている方)の為にいつも
WMDでご飯を食べたり休んで行きなさいと呼びかけています。
韓国では旧正月やチュソクで故郷へ帰って家族・親族と過ごすことが国民行事のようにあるそうですが、行き場がなくさびしい思いをしているメンバーのことをいつも思いやって、そのように配慮して下さっています。

 

韓国人メンバーたちから摂理に出会う前どんな人生だったのか聞いた話。

仲間幸恵似の美人な子がいましたが、その子はこともあろうか大学生の時に韓国内でヒッチハイクで旅行をしたそうです。(^_^;)
寝泊りをキリスト教の教会にお世話になった際に、信仰に興味を持つようになり、教会の扉をノックしたら摂理の教会だったという人もいました。
またある人は、人生の苦痛を解けるならばといろんなメンタリングにかなりお金を投資したけれども、詐欺に遭って一文無しみたいになって何も信じられないという時に摂理で聖書を学ぶようになった人もいました。
その人は、摂理で学ぶ聖書の話(神様のみことば)は、現実と照らし合わせても矛盾がないし、何より金銭要求することもないから本当にすごい!!!と話していました。
またある人は、酷いうつ病で、死のうと思っていた人もいました。
お父さんが毎朝、真心で祈りの祭壇の条件を立て続けて、自分が摂理で御言葉を学ぶようになってから自分の心と精神の問題が解かれて、生きていることのすばらしさを知った。本当に感謝して生きるようになったと話していました。

自分の存在を否定的に見ると自信なく、暗くなるしかなく、全て否定的になり、死ぬことばかりを考えていた
摂理でモデル部をしている人が話しているのを聴いたことがあります。

摂理にモデル部がなぜつくられたのか?

それは、身長が高いことで苦痛を感じて自殺を考える長身の女性たちがその個性が生かされるようにとモデル部が誕生したとのこと。その発足のエピソードを知らない人たちが、きれいで身長が高い人達だけを勧誘していると誤解につながっているようです。(たしかに、キレイな人目立ちますしね。)
先生ご自身は、身長が低い方なので、身長のせいで自分に自信がないコンプレックスを抱く人の気持ちが痛いほどわかると話していました。そして、貴い神様の作品なのに、その価値性に気づけないで死を選んでしまう若い人達を見て本当に心痛めたという話を聞きました。
先生はベトナム戦争であまりにも簡単に命が奪われていくことを目の当たりにしてショックを受けたそうです。
そして、貴い命を絶対に生かさなければと思ったそうです。
身長低い人はヒールを履くことで5センチとか厚底の靴はくなら10センチ高くするのも可能ですが、身長が高い人は足を削ることなど出来ないから、背中を丸めて歩くしかなく、いつも前かがみになるクセがついてしまっていたそうです。でもモデル部になってカッコよく立つこと歩くことで、もっと自分に自信を持てるようになったし、神様が自分を見て喜んでくださっているのを感じて嬉しかったと話している子もいました。

最近も先生のもとに、自分の手が恥ずかしいと言って手袋をしているという手にコンプレックスを持っている人からの手紙が来たそうですが、「手の形で落ち込むことはない。その手で素敵な絵を描いてみて。あなたの個性が発揮されるだろう」と返事をされたそうです。姿形は、同じ人がいないように個性もそうだ。
その個性は自分が神様を思って神様の御言葉で自分を作る時に輝き始めるのだ。
本当の自分の価値を知っている神様を知って、神様と一緒に自分が開発することが大事なんだと知りました。

先生ご自身が、字を書くのにも絵を描くのにも何千回、それ以上に努力し、実践しながら「出来ない」ところから「出来る」ようにしたうえで伝えて下さっているその言葉に、真実さがにじみ出ているのと
神様の考え・愛は理念や、理想ではなくて、自分自身がどうするかにかかっている。
神様の愛、真理を学んだとしても、
自分が生活の中で「行わなければ」何も変わらない。
変わるかどうか、成長という変化を成すのは自分の意思。
努力・労苦に対して、人の評価がないとしても、神様は必ず覚えて下さる
そう実感します。

韓国の徴兵制度のリアルに驚いた。

「なかなか出来ない体験ができた」と語ってくれたお兄さんがいました。
一番キツイ部署が海軍・特殊部隊だそうですが、その特殊部隊に配属されたそうです。
あまりにキツくて、毎日泣きながら、脱走したい、脱走したいと思っていたそうです。

でも脱走すると国賊扱いされて自分も家族も大変なことになるから、脱走したくてもできないんだよね~。と言っていました。
(実際韓国でヒットしたドラマで脱走兵のドラマがあるそうです。見つかるまでドキドキしながら社会に隠れて生活するみたいな)

どのくらいキツイのか?
5分で飯食え、5分でシャワーしろ。日課(ある意味業務?)は理由がなく、殴られる。
訓練も辛かったけれども、理由がなく殴られる。
これが本当に、辛かったと言っていました。
今では大分そういった暴力は無いようになってきているとのことですが・・・・。
当時は毎年のように自殺する人がいたそうです。

衝撃的だったのは、北朝鮮の工作員が山に逃げ込んだという情報があり、捕獲?作戦を命じられたそうです。
何かあって死んだとしても未練後悔はありませんという遺書を書かせられ、
また、遺髪として髪の毛まで入れるようにと
指示があったそうです。(^_^;)
ちなみに、その捕獲作戦は結局、民間人の誤報だったということで事もなき終えたそうです。
ほかにも、どのくらい訓練が激しかったのか話してくれたり、実際こんな訓練をしていたよと合宿の際に軍隊式の訓練を教えて下さったこともあります。

お兄さんはその軍隊経験を通して、精神を練達されたというか、ある瞬間、転機を得たそうです。
毎日脱走したいと思っていけれど、
ある日
自分は、もう一般人じゃない。・・・・軍人なんだ!!だから出来る!!!」と自信がふつふつと湧いてきたそうです。
そういう発想の転換が起きたその時から、視力がいい(日本に来てから視力が落ちて2.5とか言っていました笑)
ことが生かされて、射撃の名手になったそうです。

そんなお兄さんは、日本で30代前半で伝道された珍しい方です。
チョンミョンソク先生の軍隊経験に深く共感するところがあると言っていました。
神様の前には敵も味方もいないんだということ。それを考える事感じることはあっても、軍人として誰も殺さないでそういう行動が出来るか?
お兄さんは、摂理に出会う前は普通に路上で殴り合いのケンカをするようなくらい喧嘩っ早いところがあったそうです。
しかし、神様の愛を知ってから、自分は変わったと言っていました。
たしかに、お兄さんは年数が経ていくごとに冷たい表情がなくなっていました。
理解したり、赦すことは難しい。でも、神様の愛を知って、その愛で行動をする時に
愛すること(理解し、赦すこと)ができるんだと知ったと、お兄さんは話していました。

神様の愛の実践、摂理のスポーツ。

フランスでサッカー大会をしたときに、ドイツ・イタリヤ・イギリスとか各国のチームで開催したそうです。
みんな相手を敵として、ケンカのような暴力的なプレーがあったりして雰囲気が悪かった時に、国によって人数が足りないところがあるから、そのチームに助っ人として入ってみて~と先生自らがお願いしてそれぞれの国のチームを回ったそうです。
そして、自分の出身国ではないチームでプレーをするように試合をしたら、
国がどうこう、民族がどうこうとかでなくて、神様の前にみんなが兄弟みたいに楽しくプレーするようになったそうです。

神様のもとではみんなが兄弟なんだ。そういう温かい気持になる大会になったと聞きましたが、わたしはその場にいなかったけれども、そうか、そういう方法があるのかと!!感動をしました。

心に残る先生の幼少の頃の話、小学校の運動会で徒競走のエピソードがあります。
上位入賞者にはノートとか鉛筆がもらえるから、みんな一生懸命に走るそうです。
先生も家が貧しかったから、これはチャンスだ!と本当に一生懸命に準備しようとしていたそうです。
でも、もらえる人ともらえない人が出てくる。。。。
それに気づいて、もらえない人が可哀そう。そう思ったそうです。
そこでみんなに提案して、横一列になって手をつないでゴールして、みんな1位になったので、
みんな鉛筆とノートをもらえるようになったそうです。

競争することで成長することもあるかもしれないですが、でももっと大切なこと
だれかがどこかで心を痛めていないか?神様の愛ってどういうものだろうか?
その視点で常に考えて行なってきた先生なんだだなぁとおもうエピソードです。

摂理に出会う入口となった留学生ウニョンを通して思ったこと。

彼女は、日本に来る留学資金を貯めてから来日したので私よりも若く見えるけれども実は3、4歳くらい年上のオンニでした。
ソウル生まれソウル育ちのウニョンは「人がいるところにうんざりしたから、人がいない自然豊かな場所に行きたいです」と祈ったところ、山梨英和短期大学(現、英和大学)に留学に来るようになったそうですが、
「自然豊かな場所で自然を通して神様を感じることあるけれども、人がいないさびしさを知った。」と言っていました笑
思ったことをぽんぽんと裏表、建前もなく話すウニョンが面白く新鮮でした。
「聖書にヨナ書っていうところがあるけれど、私はヨナだなと思った自分が思ったことばかり中心にして神様に文句ばかり言っている・・・。都会にいた時は都会が嫌だと言って、田舎に来たら都会が恋しくなった。」
とか「アルバイトで介護施設で働いているけれど、神様が命を愛する心を感じたり、学んだりしている。むずかしいこともあるけれど、神様の心情を知ることが出来てうれしい。」
とか信仰があるってこんな感じなんだなぁ。リアルに聖書と自分の人生、神様と距離が近いなぁと思って、興味深かったです。。。
もともとミッション系の学校に中高から通っていたので、聖書もお祈りも賛美も全部触れてはいたのですが、どっか遠くて、近くしようにも近くしがたいかんじだったので、彼女の信仰心は韓国人だからなのかなぁと思っていました。

韓国の信仰者の約3割が、クリスチャン。

韓国は国の大統領など政府要人や著名人などクリスチャンが珍しくない国です。
2000年前後は国の約半分がクリスチャンとも言われていた時期がありましたが、今は3割ぐらいだそうです。
そんな韓国ではクリスマスは祝日(休日)です。
信仰をもたなくても、教会行事に誘われたり、クリスチャンブックセンターのようなクリスチャンが運営している本屋さんなどが町中にあるので聖書やキリスト教はかなり身近な存在です。
日本では、朝のお祈り会という文化は皆無ですが、韓国では一般的で、明け方に自分、家族の為に、民族の為にお祈りをするそうです。(仁川空港など普通に祈祷室がありますよね。)

ウニョンのご両親は摂理のメンバーではないそうですが、お父さんはクリスチャンだそうです。
なので小学生の時に「聖書を一読をしたら5000ウォンをあげよう」と約束してもらった時があったそうで、一生懸命読んだ~と言っていました笑

そんな韓国では、たくさんのキリスト教派があります。
そして、互いにどちらが正統なのかなど、主張し合っているところがあります。
歴史的にみると、同じキリスト教(イエス様を信じる)としても、カトリックとプロテスタントが相容れないような歴史があったように、またプロテスタントの中でもそういうものがあるという事です。。。

同じクリスチャンから摂理はどうして異端と言われるのか?

私独自の見解ですが、摂理がほかの教会に比べて特徴的なところが「若い人・世代が多い」
それを、妬まれていることが原因ではないかということです。
プロテスタントの中でも長老派、メソジスト派など様々な宗派がありますし、またその宗派の中で有名な牧師があらたな宗派を立ち上げて一つの宗派が派生した団体もあるのに、摂理はキリスト教ではないと別物(異端)扱いをされています。
明らかに他と違うところは「若い世代」が多いことです。
ヨーロッパの教会、とくにスペインなどは、教会と言ったら老人だけがいる状態になっているそうです。
韓国では、若い世代も教会に通っているそうですがしかし、高校生大学生くらいになると、信仰に疑問を持ち始める時期になり、忙しいので・・・と徐々に教会から遠のく人が多いそうです。でも、摂理にはその若い世代が通っています。
それはなぜか?
聖書の疑問を無理なく、わかり易く解いて人生と生活に必要な事を教えてくれるからです。
チョンミョンソク先生を崇めている変な団体だと言っている方を見かけたことがありますが、
わかり易く教えて下さるチョンミョンソク牧師を尊敬をするとしても「崇めよ」みたいなことはしていません笑

先生の説教はどんな説教か2~3分の短い動画があるのでご紹介します。

[arve url=”https://youtu.be/LaKWmcVkXUQ” /]

[arve url=”https://www.youtube.com/embed/eiKcYT43dlQ” /]

若い世代が教会に多いという事はどれほど良い事なのか。
摂理のメンバーの信仰生活を見て安心してほしいですが、
何か人生狂わされているんじゃないか?
といった心配する心から摂理についてマイナスというか悪い評判を信じて、摂理を反対する方が多いようです。

日本で摂理について、報道されたことがありましたが、
その事実とあまりにも違うその報道は韓国の放送局が作ったものでした。
音声に修正加えつつテロップで文字加工もしたり、画像も意図的に編集されていたり・・・そしてそれと共に、
月明洞には死体が埋められているところがあるという噂話が流れていたり・・・
それは、親御さんが心配するしかない内容てんこ盛りの報道番組が毎週2時間の特番番組で放映されたので、その報道をみたら、摂理は犯罪の巣窟みたいな団体だと思うしかないです。
結局放送局はかなり後に、謝罪文をHPに載せてはいましたが・・・・。
その報道の後に摂理にきた韓国のメンバーは、「番組で言っていた事と現実が違いすぎて、驚愕した」親がその情報を信じてしまって、監禁までされて学校に通えなかったり、ひどい言葉を浴びせかけられたりもしたと言っていました。

そのように摂理は、「異端」だと韓国のキリスト教の界隈では言われています。
そして、その内容をそのまま日本でも言われているのが現状です。
異端とは一体何なのか?は話が長くなるというか、今回の記事とまた違った脈になるため、割愛しますが
異端だと定義されている団体は独自の聖書の解釈・独自の聖典を持っているようです。
しかし、摂理では独自の聖典など、ないです。

ウニョンにはお姉さんが2人いました。
ウニョン自身が摂理に出会ったのは高校2年生の時、すぐ上のお姉さんによって紹介されたと言っていました。
私がまだ摂理の教会に通う前に、ウニョンを訪ねにソウルに行ったその時に、お姉さんたちにお会いしました。
ウニョンが留学生活でちょっと大変な時に、ちょっとした手助けをしたことがあったのですが、すっかり忘れていました。
ものすごい感謝をされソウルの観光地・市場を案内しもてなしてくださったんですが、
一番上のお姉さんも、その二番目のお姉さんも今は摂理の教会に通っていないと聞きました。
上のお姉さんは結婚されていて、専業主婦でお子さんもいました。2番目のお姉さんは結婚はまだされていないキャリアウーマンな感じでした。1番上のお姉さんは摂理で結婚をしたけれども今はご夫婦共に教会に通ってはいないけど、神様には感謝をしているし、今も神様を信じる気持ちがあると言っていました。そして、2番目のお姉さんも同じようなことをおっしゃっていました。
お二人とも「聖書(御言葉)を学ぶこと・神様を信じることはイイ事だと思うよ」とおっしゃってました。
当時の私は韓国語ほとんど分からないので、ウニョンの通訳と表情を見ながら、真意を探る感じで伺っていましたが。
複雑そうな表情の理由は、私自身が摂理のメンバーになってから分かるようになりました。
摂理に対しての悪口・悪評、そういうものにお姉さんたちは疲れてしまったのかもしれない。そう思いました。
しかし、ウニョンのよう摂理にいる人もいます。
そして、摂理のメンバーは10年前よりももっと輝いているし、楽しそうです。

 

[arve url=”https://youtu.be/ZbxOiFVIHJw” /]

戦争をなくすことを深く考えた時。

高校生のときに韓国へ修学旅行として訪れて、独立公園に行った際に、
日本語で初老の男性から話しかけられました。

「なぜこのように私が日本語を話せるかわかりますか?あなたの国が私の母国語を禁じた時があったからです。
そういう事があったんだということをちゃんと、知ってください。
そして、このような悲しいことが
どうか二度と起こらないようにしてください。」

出典:seoulnavi

そのように、お願いされたことがあります。
全くクセがない、完璧な日本語で、衝撃を受けました。
幼い時に、日本語を強制的に覚えさせられたからなんだという事を目の当たりにしたからです。

男性からは、憎しみや憤りというよりは、
二度と悲しい歴史が起きないように、希望を託された切実な願いを感じました。

第二次世界大戦が、昔の話ではなくて
リアルに自分につながっていることなんだと、
初めてはっきりと感じた瞬間でした。

戦争は絶対に起こってはならない事。戦争を完全になくすためにはどうしたらいいのか?

永遠な課題だと思っていたのですが、摂理に来て解決の仕方を知るようになりました。

先生の弟さんであるポンソク牧師は裏表がない方です。
「日本は嫌いだ」とはっきりと仰っているのが印象的でした。
当時、集会・講演のあとにポンソク牧師がロビーで日本人一人ひとりに握手してくださっていましたが、「本当は嫌だけれども、先生だったらこうすると思う」という実直な姿を見たことがあります。
そのように嘘をつかない、正直なポンソク牧師がわたしは好きでしたが
去年、ウォルミョンドンでポンソク牧師に約10年ぶりぐらいに握手させてもらう機会がありました。
しかし、その際ある男性メンバーがよろけて割り込むというか倒れ込むというか握手し損ねそうになったんです。「あ~無理かな仕方ないや。」とすぐに諦めたんですが、でもポンソク牧師は手を差し出して、待っていてくださったんです。何より感動したのは、昔みたいにいやいやな感じでなかったことと、その握手で先生のお母さんが生前、握手して下さった温かい握手が思い出されました。

自分がもし韓国人だったら、日本人に対して、温かい気持ちを持つことは出来ないなと思います。

でも、神様を信じて愛して生きるならば国同士の問題も解決するしかない。
神様の愛を行なうこと。
それを感じました。

そして、人間は神様に似ていくことができる存在なんだ。
イエス様は「あなた方の父が完全であるように、あなた方も完全になりなさい」とおっしゃったことを実感しました。

私は摂理に来て、人生の大きな問題「赦せない」ことつまり「憎しみ」が解かれることを体験しました。
その話はまた長くなるのでまたの機会にしますが、解かれた理由というのは「神様の愛、赦しを知った」からでした。
到底赦せない、そういうことがあったんですが、
聖書を神様の歴史を学んでみて
自分が実際に真実に神様に祈ってみて
神様を知って行った時、
そして、到底できない先生の実践のエピソードを通して教えてもらった時に

自分がどうするか、2択なんだな。

神様の愛・考えで生きるか、
憎しみを抱えて生きるか。

どちらかなんだな。
そう感じました。

神様の視点で見る時、一番傷ついているのは、何千年もそれ以上に何億年以上もずっと人間を見つめ続けている神様の心情を考えた時に、自分の傷とか痛みとかちっぽけ過ぎて、まるでミジンコだと思いました。

神様の愛を成す時に平和が成される。
自分が「神様の愛」を実際に、「感じて」そして「どう伝えていくか」「現していくか」
それが平和を成す方法なんだなと先生を通して学ばせてもらいました。

先生の実践はあまりにもすごすぎて、自分にはできないなぁと思うこと多々ありますが(^_^;)

自分のことよりも、他者のことを考えられるってことが「愛なんだ」と知るようになりました。

この原稿を書くのに、私は時間の関係上、7日間以上は一食ずつ抜かないと書き上げられない状況でした。
でも、先生はそういう生活を10年近く、毎日毎週、ずっとされています。
私はパソコンですが、先生は手書きです。だから、どれだけ時間がかかるでしょうか、20回くらい読み直しながら進めるとおっしゃっていました。夕方になって初めて一食食べるという日が普通にあるとおっしゃっている時がありました。
巷には「先生は実際書いていないよ、ゴーストライターがいるんだよ」と仰る方がいるそうですが
先生はインターネットを通して世界中にメッセージを伝えていらっしゃった時も同じ過ごし方をされていたのを私は見ているので、ゴーストライター説を提唱する方は摂理のメンバーではない方だなぁとしみじみ思います。

その当時、先生はドイツやアメリカなど時差がある国に向けて伝えていらっしゃったから、寝る時間がなくて肉体の限界が来て倒れるような生活をされていました。わたしは先生のいらっしゃる場所に直接行った人ではないですが、先生が疲労で声がしゃがれて痰がでたり、顔がむくんでいて明らかに体調が悪い中でも伝えて下さってたのを毎日、毎朝、見ていました。
どんなに辛い時も、絶対に伝えてくださっていたんです。

文字通り「身を削る」生き方をしながら神様の真理と愛を伝え続けて下さっている先生。

先生は、以前「断食を40日して食べるものが、豆一粒しかなくても、私はそれを分け合うことが出来る自信がある」と仰っていましたが、ほんとにそうなんだろうなと、先生の生きてきた姿と今も変わらないその姿を思うと、そのヒトコトがリアルに胸に響きます。