最近、また美容院を変えてみた。
腕がよくても暴言(否定的な言葉「頭がでかく見えます」等、お客の尊厳なし)で行くたびに疲れるところから、
「肯定的に話してくれる」所へ導いて下さいと祈り転院したが
肯定的に話してくれはするけれど、押し付けがましいところがあるため
「押しつけがましくない美容師さん紹介して下さい」と新たにまた祈り求めた。

具体的に祈りなさいと、チョンミョンソク先生から教えてもらったので

「生まれもった髪質と量をより良く対処してくれる人」
「私の意向をしっかりと汲む方」
「割引プランがある」などなど
(’腕がいい’ということ前提)祈りしながら全部クリアする人に会えた。
やはり、祈って行なう。
これは最高に時短だと改めて思った。
また同時に、美容院ジプシーは思った
「カット技術がある美容師さんはそれなりに自信が生じるため、切られる側の心が分からなくなるかもしれない。」と。

生まれもったものとは、毎日自分が対峙するため
数か月に1度会うくらいの人から
じゅーうぶんに分かっていることを
まざまざと言われるのはまったくもって気分がよろしくない。

あと、こうしたらこうなるから仕方がない的な消極的なこと言われてもなえるもの。。。
しかし、もう仕方がないものだろうかと半ばあきらめつつ
「後頭部のクセが強いからどうにもできないとか言われたりしますが、どうですかね?やっぱりむずかしいですか?」と
話したところ
「わたしも美容師さんから嫌な思いさせられたことがあるので、わかります」と返答された。

言葉の奥にある気持ちを汲めるというのは、同じような経験があるからなのか
それともその方の個性と人格なのか・・・。と感慨深くなった。

家族が「あさいち」というNHKの情報番組を見ているのだが
通りすがりに興味深い話題が耳に入ってきた。

落ち込んでいる人に、正しい接し方をするには?という内容。

車内査定でランクが落ちたご主人に対して励ますつもりで「上から下ではなくて中だからよかったじゃない」
と接したところ「もういい、そういうことじゃないんだ」といって怒らせてしまったとか
高校受験が残念な結果になった子供に「大学でリベンジしよう」といって、縛りをかんじさせているのではと後悔しているお母さんなどなど。

共通しているのは、落ち込んでいる家族を励まそうとして、逆効果になっているということ。

相手の心の状態に合わない言葉を掛けることが原因だということが分かった。

相談をされるときに気を付けるポイントをカウンセラーの方が「味方だよ」というような心によりそう接し方をすることが大事ということをおっしゃっていた。

チョンミョンソク先生ならばどうされるんだろう・・・ふと思った。
そうしたとき、思い出した一言。。。

「失敗は復帰できる条件だ。最後に立ち上がったら過去に失敗したすべてを回復するようになる」

ウォルミョンドンの、岩の造形-野心作を作り上げるまでに積み上げた岩が5回、崩れた事を通しての先生の一言。

事態を矮小化することもなく、
事実として受け止めながらも、
希望は自分の心と行動からはじまるのだ
立ち上がらせる力を与えてくれる言葉。

チョンミョンソク先生は幼い時から今に至るまで、ものすごい批判を受けつづけている方だ。
聴くに堪えない悪口を何十年と言われまくっている。
しかし、そんな中でも人に力を与える言葉を伝え続けている。。。
辛さ、苦しみ、無念さ、絶望等を味わいつつ乗り越えたからなんだなと、
力をいただく度に思う。

仕える事とは、相手の心を慮ってこそ出来ることだと
美容師さんとのやり取りや
自分の至らない仕事ぶりからの反省を通して日々思う。

その中で気づいたのだ。

いちばん偉くなりたい人は、仕える人になりなさい。

イエス様がおっしゃった言葉の意味って、もしかして、こういうことだったのかな?と。