言葉がうまい・表現がうまいというよりは、
神様がこりゃ働きかけるしかないわと思うお祈りを
うまいお祈りだと私は定義しています。
なぜならば、
人だって「できるかどうかわかんないけれど、やってもらえたら嬉しいな」と言われるよりは
「あなたしかできる人はいません。絶対あなたならば素晴らしく出来るはずです!」と
言われるほうが俄然、やる気がでるのではないでしょうか。。。
人間に心を与えた神様にもやはり心があると、
摂理にきてチョンミョンソク先生の御言葉で知りました。
結構おどろきでした。
たしかに神様の心を知ろうと聖書学んでみつつ
お祈りしてみれば見るほど
かならず神様からの反応があり、こりゃマジだ。
神様の存在を実感するようになりました。
先生は、お母さんから「あなたのお祈りはとてもわかり易くていい。」と言われたことがあるそうです。
難しい言葉を使わなくて、心に響く言葉で心情があるということですね。
礼拝の代表祈祷のような場所では神様の御前に立って代表でお祈りを捧げるので神様の権威と権勢があふれるように
言葉を選ばれていると思いますが、たしかに、先生も先生の認めるジョウン牧師のお祈りも
真実な心情を感じるお祈りです。
建前がない。
ただあるのは、
「全知全能な神様、宇宙天地万物を作られた方、生きて働かれる神様」を
絶対的に信じて、認めて
神様の心を動かすしかない信仰によるお祈り。
神様を喜ばすお祈りだな~と感じますし、
このような絶対信仰で祈るべきだなと学びます。
もう一つは、天に向けての愛の上に、兄弟姉妹への愛の祈り。
それがチョンミョンソク先生とチョウン牧師のお祈りの特徴に感じられます。
自分の体の一部が痛かったら、気になるように
兄弟姉妹がどこか病んでいたり、力を失っていたら癒されるように力が与えられるように
そういう天の愛の祈り。
自分がしてほしいと思うことを相手にもして上げなさい。
イエス様がおっしゃった御言葉を思いだします。
「イエスは言われた、
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
「第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
マタイによる福音書22章37~40節
祈りとは行なう事のための祈りだともチョウン牧師が以前、おっしゃっていたことがありました。
先生は祈るだけではなかったから、今の月明洞がある。
そのように、祈って実践する方だ。
そして、人間に出来ない事を神様がなさってくださる。
そう絶対的に信じて命を懸けて祈る先生だ。と
チョウン牧師もその精神を持って行ないながら見せて下さってきました。
人から誤解されたり、力が抜けるような悪口を言われるようなことがあっても、祈りながら
すべきことを行なわれてきました。
うまい祈りとは、
言葉の表現というよりは、
日々どのように神様を信じて生きるのか、
神様の心を受けるように神様に仕える生き方をする中で
神様の願う祈り・兄弟姉妹を愛する祈りが出るようになるのだなと感じます。
まとめますと
上手なお祈りとは
神様を愛して、信じて祈ること。
神様の愛で兄弟姉妹を愛して祈ること。
そのように祈れるようになりたいです。。。