最近、指導者との関係で苦しんでいる子の話を聞いた。

色々たまりにたまっていたことが、あることをきっかけにばぁーーんっと破裂したみたいな感じ。

役職があっても、使命があっても、それが人間の高低を示すものではなくて、個性どおりに天が用いるためのものであり、
天の前では兄弟姉妹なのだ。という御言葉が最近あったので、それを紹介したところ

「楽になりました」と言っていた。

指導者のイメージが、自分の中になんらか既存の概念があるとそれで苦しい場合が結構あるかもと、
ヤングなかんじの方にある種の傾向として感じられる。
指導というのが上から下みたいなイメージ、優等な方が劣等な者を治めるのかしら~みたいな。
「指導者」ではない人は「指導される」側として、なんか負担感感じてしまって仲良くしたくない気持ちが私は当初あった。

天がいろんな過程を与えてくださって、神様のおっしゃる指導者の意味をちゃんとわかって
そして、核である「天と私」という一対一を掴む時、摂理の人間関係も楽になった

相手を通して、傷を受ける時、苦しみを受ける時
お祈りして、天に訊いて
そして御言葉で答えをもらって、溶けて行った既存の概念。

悩み中のその子も、もっと自分と天が近くなるように、新しい自分になる実践の時にしますという決心をしていた。

天との関係がまず解かれていてこそ、兄弟姉妹との関係も和睦する。
天の心情。天の愛を知る時に、その愛が自分の心に満ちるから、相手にもその天の愛で接することが出来るようになる。
もっと、そうなりたい・・・・。と心から切望。

ありのままの愛を
ありのままに伝えられる人を目指したい。
そう、チョンミョンソク先生みたいに。