礼拝を捧げる講壇の準備をしている子の歩き方がとっても美しくて、作品だなぁとおもわず見いってしまったことがありました。

170センチ以上ある人ならではの手足の長さは、やはり所作に美しさが現れるな~と思いました。

彼女は摂理に来てきれいな歩き方を学んだそう。
たしかに、背筋をただのばすだけでなく、肩が水平であること、足の踏み出しかた等々
知っているか知らないかで全く違いますね。。。

神様の下さったからだを神様に感謝して美しくすること。
そういう、神様への賛美での一つなんです。

背が高くて、それが負い目で、辛かったという人が
摂理では神様のモデルとしてカッコよく、美しく個性的に栄光帰している様子を
日本でも、韓国や諸外国でもみます。

目に見えるカッコよさも然りですが
なにより、目に見えないところがどうなのか。
それが偽りがない美しさであり、
神様への感謝と愛ゆえだとかんじます。

10年位前に、摂理について面白恐ろしく、女性をはべらすような北朝鮮の喜び組?みたいな報道をしていた放送局があったけれど
人ではなく神様を見て、芸術をしているんですよーと声を大にして叫びたい心底おもいました。(あの映像等全部、事実を捻じ曲げて加工されているから仕方ないんですけれど)

北朝鮮の喜び組は生き抜くためにそうせざる負えないような状況にあるのは
脱北者の証言等で周知の事実ではと首をかしげるしかないです。。。

報道の通りに摂理をみる方からすると、あなたたちも洗脳されているからだという見解になるのかもしれませんね。
が、しかし
洗脳って思想教育ゆえに
ながーい時間かけてするか
極的な状況に追い込んで短い時間で仕込むかの二通りっぽいですよ。
監禁されて脅されたり拷問されたりされるようなことを日本でしていたら即、捕まるんじゃないかなと。
っていうか、
選択の自由が普通に認められている日本において、
給料もでるわけでもないところに一生懸命できるんだろうか?

一般的に考えて
そりゃないっしょ。
とおもえませんか?

報道もより善く進化されているのか否か。今後を期待したいです。