生きていると当たり前ですけれど、
嬉しい時も悲しい時もありますね。
過ぎ去るとすべて一瞬ですが、辛いと感じるその時はなぜか、長く感じます。

 

どうしてそうなのか?
考えてみた時に、

辛いことを通して、生じる得るモノもあるなと

そう改めて学ばせてもらう御言葉がありました。。。

 

 

人は皆、ご飯を食べ、

人は皆、寝てこそ生きることができるように、

人生を生きる中で差し迫る困難と患難は

人生の目的地に行くためには、誰にでも来る。

幼い人、年老いた人、関係なく、自分に該当するものが来る。

打ち勝ち、勝利しながら、自分の人生を生きていくのだ。

そのように生きてこそ、次元が上がる。

喜びの根本になる宝を

得た人と得られなかった人の喜びが違うし、

得た人と得られなかった人の自信感が違うし、

得た人と得られなかった人の希望が違う。

はっきり、明らかに違う。

キリスト教福音宣教会-摂理の御言葉

 

 

人生という道の過程の中で
朝があり、

夜があり、

また山登りのような時もあれば、

広くみ渡すような景色を見るような瞬間もある

すべてが”根本の宝を得る”ために必要な過程、
ただ流れていく時間でもなく、
意味のない労苦でもなく、
全ての瞬間に意味があり、
全てが甲斐になる。

たしかなその価値を自分の人生を通して得る。

そう考えると、何でもない自分だとしても、誇らしく感じられ
さて、もうひと踏ん張りしようか
という気持が背中を押すように湧いてきました。


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